~ 中之島センタービルのお稲荷さん(玉吉稲荷) ~

大切にしたい屋敷神

ご存知でしたか?
中之島センタービル敷地内にお稲荷さんがあります。

説明書きは下記のとおりとなっています。

玉吉稲荷

江戸時代、蔵屋敷はこの地(現在の6丁目2-27)小倉藩にとどまらず、中之島には多数の藩が軒を列ね「中之島誌」によると元禄16年(1703年)にはすでに四十屋敷に達していた。それらの蔵屋敷の屋敷地を安らかに守るために邸内に設置されたのが屋敷神ともいうべき祠である。豊前小倉藩の資料がなく、傍証に乏しい面があるが周辺の蔵屋敷の見取図の例からもこの玉吉稲荷のルーツもそこに端を発するものと思われる。以後、当敷地は大阪逓信局、日本電信電話公社、近畿電気通信局と時代を経て、昭和50年中之島センタービルが建てられ今日に至っている。

平成11年3月
大阪地区開発株式会社

これは、蔵屋敷の屋敷神と思われます。

皆さんご存知の通り、大阪中之島は江戸時代、蔵屋敷が立ち並んでいました。
大阪市北区中之島6丁目のこのあたりは、九州の小倉藩の大坂蔵屋敷があったと記録されています。
敷地の乾(北西)の隅にある玉吉稲荷は、小倉藩の屋敷神と思われます。

小倉藩は明治維新の時に長州藩の攻撃を受けたにも拘らず、幕府軍の援軍を得られず不利を悟って自らの手で小倉城を焼いたために、国元の史料はもちろんのこと大阪に存在していた文書も散逸せざるを得なかったのです。結果として、傍証史料しか存在しないので同藩の大坂蔵屋敷に関しても何ら信頼すべき史料を手にできないのが実情です。

実質的には各藩の蔵屋敷内に各種の祠が祀られているので、小倉藩蔵屋敷にも稲荷社が祀られていた可能性は極めて高いと思われます。

当社では、月の初めにお供えをして、日ごろの感謝を申し上げ、この地域の安泰をお祈りしています。
中之島西の端のひそかなパワースポットであると思っています。